夫から突然、
「〇〇ちゃん(私)にも大学の費用を手伝ってもらわなくちゃいけなくなったから!」
と言われた。
しかも、ものすごく怒った声で。
顔も挑戦的だった。
「学費が払えなくなったんだけど、どうしよう」
でもなければ、
「相談がある」
でもない。
いきなり、
「あなたにも払ってもらうから」
だった。
前期授業料の支払期限まで、あと1週間ほど。
私はこのとき、
「なんでまた私なんだ?」
と思った。
ここに至るまで、私はすでに子どもの教育費を何度も負担してきたからだ。
話は、中学受験までさかのぼる。
- 中学受験の費用は私が払った
- 高校2年生。「大学受験のために塾へ行きたい」
- 大学合格。「今度こそ私の役目は終わった」
- ところが大学2年生の5月、「退学したい」
- 「僕たちは先に死んじゃうんだから。やりたいことをやっていいよ」
- 退学後の1年間。自分で33万円を貯めた
- 希望していた大学へ編入
- ところが、前期授業料の支払期限1週間前
- 怒らずに話を聞こうと決めた
- 「じゃあ離婚しようよ」
- 「銀行へ行ってくる」は授業料の振り込みじゃなかった
- 私は「払えなくなったら父と子どもで解決して」と言っていた
- そもそも夫は、大学の学費をどうするつもりだったのか
- 私が腹を立てたのは「払えないこと」だけじゃない
- 生き方=仕事の仕方。こんなにも違うんだ
- 子どもは「自分で返す」と言った
- 「私って夫ガチャも外したのか?」
- 300万円借りたら、いったいいくら返すことになるんだろう
- 「決まったら僕にも教えて」
- 夫は寝た。私は一人で「学資ローン」を調べていた
- 22歳から38年間払い続けた終身保険
- そういえば、この保険の受取人は夫だった
- 死亡保障を5分の1近くまで減らした
- 私が貸せば、利息はいらない
- 「私って、すごいじゃん。頑張ってたじゃん!」
- 「返済ペースも、あなたが決めていい!」
中学受験の費用は私が払った
子どもは中学受験をして、中高一貫校へ進学した。
中学受験の塾代や受験にかかる費用は、私が負担した。
当時は毎月の塾代を払いながら、
「来月もちゃんと稼げるだろうか」
と不安になり、それでも子どもが行きたい学校へ行けるようにと仕事をしていた。
だから中学受験が終わったとき、私の中には大きな解放感があった。
「私の教育費担当は、これでひとまず終わった」
そう思っていた。
進学したのは中高一貫校だったので、高校受験はなかった。
授業料も区立と同じくらいで月1万円程度。
給食費が必要だったのは中学の3年間だけで、子育て支援のお金も入っていた。
電車通学だったので定期代は必要だったけれど、中学受験の頃のように、大きな塾代や受験費用を毎月心配する生活ではなくなった。
そして何より、私は大学に関する費用は夫が面倒を見るものだと思っていた。
中学受験は私。
大学は夫。
大学へ行くために必要になる勉強や塾の費用も、当然そちらに含まれると思っていた。
夫にも以前からさりげなくそう話していて、何も言い返されなかったので、私は夫もそのつもりなのだと思っていた。
だから、その後は教育費についてずっと気持ちが楽だった。
その間に私は更年期に入り、身体の変化とも付き合うようになった。
以前のように、
「必要なお金が増えたら仕事も増やせばいい」
という働き方をいつまでも続けられるわけではない。
身体と相談しながら、自分なりに仕事を続けていた。
高校2年生。「大学受験のために塾へ行きたい」
高校2年生になった頃、子どもから、
「大学受験のために塾へ行かせてください」
とお願いされた。
子どもは、社会に出るときに少しでも選択肢が広がるように、MARCHを目指したいと言っていた。
でも英語などは高校の授業だけでは難しく、受験のためには塾へ行きたいと考えていた。
そこで私は夫に、
「中学受験のときは私がやったんだから、大学関係のことはあなたが面倒を見て」
と言った。
私にとっては、今さら確認するような話でもなかった。
ところが夫から返ってきたのは、
「塾に行かなくても行けるところでいいじゃん」
という言葉だった。
え?
驚きすぎてのけぞりそうだった。
大学はあなたが面倒を見るんじゃなかったの?
私はそう思った。
子どもには目指したい大学のステージがある。
そのためには塾が必要だから行きたいと言っている。
でも夫は、
「塾に行かなくても入れる大学でいい」
と言う。
私には、
「俺が無駄だと思うものには一円も払いたくない。今できる範囲で行けるところへ行けばいい」
と言われているように感じた。
その間で、子どもは困惑していた。
私はその姿を見ていることができなかった。
結局、
「分かった。私が何とかする」
となった。
そして大学受験のための塾費も、私が全額負担した。
また私か。
正直、そう思いながら愕然とした。
中学受験が終わってから、大学のことは夫に任せられると思っていた。
それなのに、大学受験になったらまた私が教育費を作ることになった。
「それでも世帯主かよ」
そんな悪態をつきたくなる気持ちもあった。
でも、目の前で困っている子どもに、
「お父さんがお金を出さないから諦めなさい」
とは言えなかった。
だから私は、また仕事をした。
大学合格。「今度こそ私の役目は終わった」
そして、子どもは見事大学に合格してくれた。
本当に嬉しかった。
抱きついて喜んだ!
私が頑張って塾費を作ったことに、子どもが「合格」という結果で応えてくれた。
そして今度こそ、
「私の教育費担当は終わった」
と思った。
ここから先の大学の学費は夫が面倒を見る。
私はそう思って、自分の今後の仕事のペースを整え始めた。
長かった更年期も、ようやく終わりが見えてきていた。
これからは老齢期に入っていく自分の身体とどう付き合いながら仕事を続けるのか。
いつまでも教育費を作るために仕事量を増やすのではなく、自分の身体に合わせて働いていこう。
少しずつ仕事量も減らし始めた。
「やっと自分のことを考えられる」
そう思っていた。
ところが大学2年生の5月、「退学したい」
大学1年生を終え、2年生になった5月。
今度は子どもが、
「大学を辞めて、別の大学へ行きたい」
と言い出した。
また新しい問題がやってきた。
退学したいという本人の気持ちは受け止めた。
でも私は、それより先に確認しなければならないことがあると思った。
「大学を辞めるなら、いつまでに何をしなければいけないのか、自分でちゃんと調べて。それから退学したいという話をしなさい」
と怒った。
大学は「辞めます」で終わる話ではない。
退学手続きには期限がある。
学費の振込期限もある。
そこを何も調べないまま、退学したいと言っていたからだ。
子どもに調べさせてみると、上期の学費を振り込まずに退学するためには、もう手続きの期限ギリギリだった。
あと少し遅かったら、辞める大学に上期の学費を支払うところだった。
「大学を辞める」という大きな決断をするなら、そこまで自分で調べてから話をしてほしい。
私は腹が立った。
あ、でもちょびっとね……。
子どもはまだ学生。
社会のルールや期限について、分からないことがあるのも仕方がない。
だからこそ、自分で調べて、自分で手続きをして、自分で決めたことに責任を持ってほしいと思った。
そして、子どもは大学2年生の5月に嬉しそうに退学した。
「僕たちは先に死んじゃうんだから。やりたいことをやっていいよ」
子どもが最初の大学を辞めたいと私たちに話したとき、夫はこんなことも言っていた。
「僕たちは先に死んじゃうんだから。やりたいことをやっていいよ」
この言葉には、子どもも驚いていた。
たぶん、私に反対されると思っていたのだと思う。
私も、もちろん不安はあった。
せっかく入った大学を辞める。
もう一度受験をして、本当に別の大学へ行けるかも分からない。
それでも、自分がやりたいことを見つけて別の大学へ行きたいという子どもの気持ちを、私は反対しなかった。
夫も「やりたいことをやっていい」と言っている。
だったら、やってみたらいい。
そう思った。
退学後の1年間。自分で33万円を貯めた
大学を辞めたあと、すぐに別の大学へ進んだわけではない。
翌年、大学2年生として編入するまで、アルバイトをしながら過ごすことになった。
親としては、もちろん心配だった。
編入試験は合格するだろうか?
勉強は自力でできるだろうか?
でも、その期間の子どもを見ていて、私は少しずつ感心するようになった。
ただ何となくアルバイトをしていたわけではなかったからだ。
子どもはアルバイトをして、自分で33万円を貯めた。
そして、そのお金でバリスタの資格を取った。
これは素直に偉いと思った。
親に出してもらったお金ではない。
自分で働いて、自分で33万円を作って、自分がやりたいことのために使った。
大学を辞めてできた時間を、ただ何となく過ごしていたわけではなかった。
「ちゃんと時間を有効に使っているんだな」
と思った。
退学したときには、
「どのくらい本気なんだろう?」
と思っていたけれど、この姿を見ていたら、
「この時間も無駄ではなかったのかもしれない」
と思えるようになった。
希望していた大学へ編入
その年の秋ごろ、子どもは希望していた大学の編入試験を受けた。
今度は、自分が学びたい教授がいる理系の大学だった。
結果は合格。
翌年の春から、大学2年生としてもう一度大学生活をスタートすることになった。
最初の大学で1年生を終え、2年生の5月に退学。
その後はアルバイトをしながら33万円を貯めてバリスタの資格を取り、その年の秋に編入試験を受けた。
そして翌年、別の大学の2年生から再スタート。
大学に在籍するのは合計4年間だけれど、高校卒業から卒業までは5年かかることになった。
でも私は、その1年間を無駄だったとは思わなかった。
やりたいことが見つかった子どもの編入を反対はしなかったけれど、ちょっと不安ではあった。
でも信じていた。
ちゃんと頑張っている姿を見て、
「編入を応援してよかったな」
と思った。
子どもは子どもなりに、自分の人生を前へ進め始めた。
そこは母親として、素直に感心した。
信じて良かった!
そして私も、
「今度こそ、卒業まで見守ればいい」
と思っていた。
大学の学費は夫が担当する。
何より夫自身が、
「僕たちは先に死んじゃうんだから。やりたいことをやっていいよ」
と、子どもの背中を押していた。
だから私は、当然その先の大学生活についても、夫なりに考えているものだと思っていた。
私はこれから、自分の身体と相談しながら、自分の老後も考えて仕事をしていけばいい。
今度こそ、本当にそう思っていた。
ところが、前期授業料の支払期限1週間前
編入した大学で2年生の1年間を終え、子どもが3年生になったばかりの頃だった。
前期授業料の支払期限まで、あと1週間ほど。
夫が突然、ものすごく怒った声で言った。
「〇〇ちゃんにも大学の費用を手伝ってもらわなくちゃいけなくなったから!」
これが一発目だった。
「学費が払えないんだけど、どうしよう」
でもない。
「相談がある」
でもない。
いきなり、
「あなたにも払ってもらうから」
だった。
しかも、顔も挑戦的だった。
え?
なんで私が怒られてるの?
何の話?
子どもも一緒にいるところだった。
おそらく夫は、強く言わなければ私にこの話は通らないと思ったのだろう。
当然、私も言い返した。
そこからワイワイと言い合いになり、夫は怒って自分の部屋へ行ってしまった。
残された私と子どもは、唖然。
でも、このままでは何も分からない。
何が起きているのか、ちゃんと話を聞かなければいけないと思った。
私は子どもに、
「パパ呼んできて」
と頼んだ。
そして、3人で家族会議をすることになった。
怒らずに話を聞こうと決めた
このとき私は、
声を荒らげないで話をしよう。
そう自分に言い聞かせた。
腹は立っていた。
ものすごく腹は立っていた。
でも、ここで私まで感情的になったら、肝心なことが何も分からないまま終わる。
子どもに間に座ってもらい、3人で話し始めた。
夫もさっきより少し冷静になっていた。
そして、ようやく事情が見えてきた。
夫の仕事がAIにどんどん取られるようになり、売り上げが減ってきていた。
そして、
「もう大学の学費を払いきれない……。家族の健康保険料とかもあるし、電気代も負担で……」
と言った。
「じゃあ離婚しようよ」
健康保険料や電気代まで持ち出された私は、夫に言った。
「じゃあ戸籍を離そうよ。離婚すれば、本当の意味で私の分の負担を手放せるよ」
すると夫は、
「それだと逆に支払いが高くなる……」
と言った。
は?
負担だと言うから、その負担をなくせばいいと言っているのに、それは嫌なの?
意味が分からなかった。
そもそも結婚した当初、健康保険料については夫が、
「これは世帯主として自分が払う」
と言っていた。
水道光熱費についても、家事の負担は私のほうが大きいから、その分は夫が負担するという話になっていた。
それを今になって、
「健康保険料も払っている」
「電気代も負担だ」
と言われても、
「それ、最初に二人で決めたことじゃなかった?」
と思う。
収入が減ってきたことで、今まで普通に払っていたものまで夫には負担に感じるようになったのかもしれない。
でも私には、
自分で引き受けると言ったことまで、今になって私への負担のように言わないでよ。
という気持ちしかなかった。
この人、本当に消えてくれないかな。
そのくらい、このときは夫の存在そのものが嫌になった。
それでも今は、大学の学費をどうするのかを聞かなければならない。
私は話を続けた。
「銀行へ行ってくる」は授業料の振り込みじゃなかった
そういえば、その日の昼間。
夫は、
「銀行へ行ってくる」
と言って出かけていた。
私はてっきり、大学の授業料を振り込みに行ったのだと思っていた。
違った。
銀行へ行ったのは、学資ローンの話を聞くためだった。
夫の説明では、ローンは親ではなく学生本人が申し込まないといけないらしいという話だった。
だから、子どもに学資ローンを借りてもらう。
ただ、前期授業料の支払期限はもう迫っている。
そこで夫が考えていたのは、
前期の授業料はいったん自分が払う。
そして子どもが学資ローンを借りてお金を受け取ったら、
そのお金から、先に払った前期授業料をすぐ自分に返してほしい。
ということだった。
え?
払うんじゃなくて、一時的に立て替えるだけなの?
家族会議をして、ようやく分かった。
夫はもう、大学の学費を最後まで払うことができない。
私は「払えなくなったら父と子どもで解決して」と言っていた
私は大学に合格した頃から、夫と子どもに伝えていたはずだった。
もし大学の学費が払えなくなっても、私を巻き込まないで。父と子どもで話し合って解決して。
子どもはもう成人している。
しかも、一度入った大学を退学して、別の大学へ編入したのは本人が自分で選んだことだった。
私はその選択を応援した。
だからといって、親が最後まで何があっても学費を払い続けなければならないとは思っていなかった。
もし親が払えなくなったのなら、2人でどうするのか考えたらいい。
奨学金なのか。
教育ローンなのか。
アルバイトなのか。
父親と子どもで話し合って決めればいい。
私はそう考えていた。
だから今回も、
「もう払えない」
と夫から相談されたのなら、まだ話は分かる。
でも実際に一発目に言われたのは、
「〇〇ちゃんにも大学の費用を手伝ってもらわなくちゃいけなくなったから!」
だった。
私に相談するのではなく、私が払うことまで勝手に決めていた。
そこが、私はどうしても許せなかった。
そもそも夫は、大学の学費をどうするつもりだったのか
夫は、実家の家を売ったお金を大学費用に使うつもりだった。
ところが、そのお金は夫の手元には入らなかった。
弟との間でお金の問題が起き、兄弟げんかになった。
結局、兄弟の間には亀裂が入ったままになっている。
これは、子どもが大学に合格したあとに起きたトラブルだったらしい。
予定していたお金が手に入らなかったことは、夫にとっても想定外だったと思う。
それでも子どもの大学生活は続く。
予定していたお金がなくなったなら、そこからどうするか考えなければならない。
最初の大学に入った1年目。
その学費は100万円以内だった。
この分については、弟から100万円だけ取り戻したお金を使っていた。
子どもは2年生の5月に退学したので、2年目の上期学費は振り込まずに済んだ。
その後、1年間のアルバイト生活を経て、翌年、別の理系大学へ2年生として編入。
編入した大学は、最初の大学より学費が高くなった。
夫が自分の収入から何とか学費を払ったのは、この編入後の2年生の1年間だった。
そこは夫なりに頑張ったのだと思う。
でも、その次が続かなかった。
3年生になったばかりの5月、
「もう払えない」
となった。
ここで私は、あの言葉を思い出した。
「僕たちは先に死んじゃうんだから。やりたいことをやっていいよ」
あのとき子どもの背中を押したのは、夫自身だった。
だからこそ私は、余計に腹が立った。
私が腹を立てたのは「払えないこと」だけじゃない
私は、収入が減って学費が払えなくなったことだけに腹を立てたわけではなかった。
夫の仕事には以前からAIの波が来ていた。
今までと同じ仕事の仕方では、売り上げが減っていく。
それは夫自身も分かっていたはずだった。
それでも夫は、自分の仕事をずっと同じように続けていた。
私はそこが理解できなかった。
私だったら、今の仕事だけでは足りないと分かった時点で、
「あと月10万円作るにはどうしたらいい?」
と考える。
この時代、副業を探すかもしれない。
新しいことを勉強するかもしれない。
今までと違う仕事を始めるかもしれない。
月10万円でも別の収入が作れれば、1年で120万円になる。
大学の学費を作ることだってできたかもしれない。
でも夫は、そういう方向にはまったく動かなかった。
自分の仕事を続ける。
いつかまた大きな仕事が来るかもしれない。
いつか作品が売れるかもしれない。
私には、そうやって希望を持ち続けているだけのように見えた。
でも、子どもの学費には支払期限がある。
「いつか」では間に合わない。
生き方=仕事の仕方。こんなにも違うんだ
この出来事で、私は夫との決定的な違いを感じた。
お金が足りなくなったとき、どうするか。
仕事が減ったとき、どうするか。
家族にお金が必要になったとき、どう動くか。
私は、
「必要なら、何がなんでも作らなくちゃ」
と方法を考える。
夫は、自分がやってきた仕事を黙々と続ける。
どちらが正しいという話ではないのかもしれない。
でも私にとって、仕事の仕方は生き方そのものだった。
だから、
「この人とは、生き方も仕事に対する考え方も、こんなに違うんだ」
と思った。
そして、その違いが子どもの大学費用という形で目の前に現れたことが、ものすごく嫌だった。
子どもは「自分で返す」と言った
家族会議で話を聞きながら、子どももようやく状況を理解した。
そして、
「編入して大学卒業まで5年かかることになったのも、学費が高い大学へ行ったのも自分の選択だから、返済が長くかかっても自分で払うよ」
と言った。
その言葉を聞いた瞬間、夫はものすごく安堵した表情をした。
今まで見たこともないほど、ホッとした顔だった。
私は、その顔を見逃さなかった。
子どもの決意を聞きながら、
「こういうところ、私に似たなぁ……」
と、何とも表現できない気持ちになった。
退学したあとの1年間はアルバイトをして33万円を貯め、自分のお金でバリスタの資格を取った。
そして、自分が学びたい教授のいる大学を見つけて編入した。
ちゃんと自分で前へ進んできた。
そんな子どもが今度は、
「残りの大学の学費も自分で返す」
と言っている。
それを聞きながら私は、
こんな父親を選んで、ごめん。
そんな気持ちになった。
「私って夫ガチャも外したのか?」
しかも私は、ちょうど仕事の仕方を変え始めていた。
中学受験の費用を払い、
大学受験の塾費まで払い、
ようやく子どもが大学に入った。
長かった更年期も抜けようとしていた。
これから老齢期に入っていく身体とどう向き合って、どう仕事を続けていくか。
私はそこを考え始めていた。
仕事量も少しずつ減らしていた。
やっと、
「これからは自分の身体を守りながら働こう」
と思えるようになっていた。
そこへ、
「大学の学費がもう払えない」
だった。
なんだよ、お前。
それでも世帯主かよ。
世帯主返上しろよ。
私をお前の戸籍から外せよ。
次から次へと悪態をつきたくなった。
親ガチャという言葉があるけれど、
「私って夫ガチャも外したのか?」
そんなことまで考えた。
この件のあと、私は2日間、朝までほとんど眠れなかった。
その後も1週間くらい、夜中の3時頃になると目が覚めた。
頭の中ではずっと、
「どうする?」
「どうやって学費を作る?」
「なんでまた私なんだ?」
が繰り返されていた。
夫に対する怒りも止まらなかった。
「あいつがいなければ、この家を使ってお金を作る方法だってあるのに」
そんなことまで考えた。
駐車場を貸す。
部屋を大学生に間借りしてもらう。
家があるなら、そこから収入を作る方法を考える。
結局、私の頭はいつも、
「ないなら、どうやって作る?」
に向かう。
だからこそ、何も手を打たないまま支払期限ギリギリになって、
「もう払えない」
となった夫が、どうしても理解できなかった。
でも怒っているだけでは、大学の学費は払えない。
子どもは大学を続けたい。
お金は必要。
そして、支払期限は迫っている。
とりあえず自分の中からかき集めてみたら、前期の授業料は払えた。
こんなことをするから、私は頼られちゃうのかな……。
でも、その先の学費まで同じ方法で何とかできるわけではない。
そこで現実的に考え始めたのが、子ども本人が学資ローンを借りる方法だった。
300万円借りたら、いったいいくら返すことになるんだろう
子どもが気にしていたのは、やっぱり返済だった。
「300万円借りたら、利息ってどのくらいつくんだろう」
「30歳までには返し終わるかなぁ……」
そんなことを話していた。
大学を卒業して、社会人になったばかりの子どもが、そこから何年も学費を返していく。
もちろん、自分で選んだ大学だから自分で返すという考え方もある。
私自身も、そう思っていた。
でも実際に子どもがローンを背負う話になったら、
できるだけ余計なお金は払わせたくない。
そう思った。
借りた300万円を返すなら分かる。
でも、そこに何十万円もの利息がつくとしたら?
それは、もったいない。
だったら少しでも金利が低いところを探そう。
どこで借りるのが一番いいのか。
金利は何%なのか。
何年で返すのか。
毎月いくら返済することになるのか。
国の教育ローンもあれば、銀行の教育ローンもある。
条件も違う。
翌日、私がいくつか電話をして確認することになった。
結局また私が調べるんだな……。
そんな気持ちもあった。
でも、ここで意地を張っている場合ではない。
少しでも負担が少ない方法を探さなくちゃ。
頭の中は完全に、
「じゃあ、どうする?」
に切り替わっていた。
「決まったら僕にも教えて」
いろいろ調べる話をしていると、夫が言った。
「どんなところでローンを組んだか心配だから、決まったら僕にも教えて」
すると子どもが聞いた。
「それを知ってどうするの? 払えるときに少しは払ってくれるの?」
夫は、はっきり答えられなかった。
私は29年一緒にいるから分かる。
夫自身、これから自分の売り上げが大きく伸びることはないと、もう分かっている。
だからここで、
「払えるときには払うよ」
と言ったとしても、その「払えるとき」はきっと来ない。
実際、同じことが以前にもあった。
洗面所の床板を張り替えたとき、
「今は払えないから、払えるときに払う」
と言われて、私が先にお金を出した。
でも、そのお金はいまだに返ってきていない。
そのうち私が忘れるか、
「もういいよ」
と言うのを待っているんじゃないか。
私はそう感じている。
だから今回の学費も同じだと思った。
最初は、
「自分も払えるときには払う」
という形にしておいて、時間が経てば結局払わなくなる。
そして最後には、それが当たり前になる。
私はもう、そのパターンを知っている。
夫の弟とのお金の問題も、もしかしたらこういう夫の性格が関係していたのかもしれない。
でも、それは私には分からない。
ただ少なくとも、子どもの学費まで同じ形にはしたくなかった。
もう、この人がお金を出すことを前提に考えるのはやめよう。
そう思った。
払えないことそのものよりも、払えないのに、まだ父親として協力している場所には座っていたいように見えることが、私には腹立たしかった。
他のご家庭でも、大学費用で行き詰まることはあると思う。
でも、すっかり他人事にしてしまう夫は、そうはいないんじゃないかと思った。
だったらもういい。
私が方法を考える。

夫は寝た。私は一人で「学資ローン」を調べていた
家族会議が終わったあと、夫は、
「僕もう寝るね」
と言って寝た。
その声が、私には少し肩の荷が下りたように聞こえた。
私は眠れなかった。
一人でネットを見ながら、学資ローンや教育ローンについて調べ続けた。
どうすれば大学を続けられるのか。
どうすれば子どもの返済負担を減らせるのか。
どこからお金を持ってくればいいのか。
考えて、考えて。
そのとき、ふと思い出した。
そうだ。私、保険がある。
22歳から38年間払い続けた終身保険
私には、22歳の頃から38年間払い続けてきた終身保険があった。
老後のために寝かしておいた保険。
もう払い込みは終わっている。
この年齢になったら、死亡保障だってそんなにたくさんはいらない。
自分のお葬式代と、死んだあとの処理に必要なお金が少し残れば、それでいい。
それなら、死亡保障を減らして返戻金を受け取ることはできないだろうか。
そう考えた。
調べていくうちに、
これを使えば、子どもに高い利息のローンを背負わせなくても済むかもしれない。
と思い始めた。
さっきまで頭の中を占領していた学資ローンとは、まったく違う方法が見えてきた。
そういえば、この保険の受取人は夫だった
そしてもう一つ思い出した。
この終身保険の受取人は、もともと母親にしていた。
結婚してから、私が先に死んだときのことを考えて、受取人を母親から夫に変更した。
もし私が先に死んだら、夫の手元にまとまったお金が残る。
そのために変更したものだった。
でも、この日の私は思った。
もう、この人に死亡保障を残したくない。
大学の学費をめぐって、ここまで私と子どもを振り回した人に、私が死んだあと大きなお金が入る。
嫌だ。
ものすごく嫌だった。
だったら、このお金は生きている今、子どものために使ったほうがいい。
そう思ったら、気持ちが決まった。
死亡保障を5分の1近くまで減らした
私は保険会社に電話をした。
そして、死亡保障を5分の1近くまで減額することにした。
正直に書くと、手続きすると決めたとき、
「ざまあみろ」
と思った。
もし私が先に死んでも、夫に以前のような大きな死亡保障は入らない。
私の死後の処理などをしたら、その後の生活費としてはほとんど残らないくらいでいい。
でも、その代わりに返戻金を受け取れる。
そのお金を使えば、後期の授業料と、来年の学費の一部も何とかできる。
それを子どもに貸そう。
そう思った。
私が貸せば、利息はいらない
学資ローンを300万円借りれば、当然利息がつく。
でも、私が貸すなら利息はいらない。
借りた金額だけ返してくれればいい。
返済のペースだって、子ども自身が決めればいい。
それなら大学を卒業してすぐ、重い返済に追われなくても済む。
私自身の老後のお金だって必要だ。
だから「あげる」のではない。
貸す。
そこはきちんと分けようと思った。
方法が見えた瞬間、一気に気持ちが楽になった。
「私って、すごいじゃん。頑張ってたじゃん!」
あれだけ腹を立てて、
あれだけ夫を嫌いになって、
眠れないほど考えていたのに。
自分で解決方法を見つけたら、急に気持ちが変わった。
私、ちゃんと自分でお金を作ってきたじゃん。
22歳から38年間、保険料を払い続けてきたのも私。
今、子どもが困ったときに使えるお金を持っていたのも私。
「私って偉いし、すごいじゃん。頑張ってたじゃん!」
そう思えた。
誰かに褒めてもらうのではなく、自分で自分にそう思えた。
「返済ペースも、あなたが決めていい!」
大学から帰ってきた子どもに話した。
学資ローンではなく、私の保険のお金を使えること。
そのお金を貸すから、銀行から高い利息で借りなくてもいいこと。
そして、
「返済ペースも、あなたが決めていい!」
と伝えた。
すると子どもは、
「まじ? よかったぁ……」
と言った。
そして、
「じゃあホントに利息なしでいいの?」
「ありがとう。ママすごいね。尊敬する。本当にありがとう」
そう言って、私をハグしてくれた。
私も嬉しかった。
お腹の中に子どもがいた頃から、私は一つだけ決めていた。
自分が死ぬまで、この子を責任を持って育てよう。教育もしっかり面倒を見られるよう努力しよう!
私は今も、そのつもりでいる。
だから今回も、この方法が一番いい。
ただし、自分で選んだ道だから、自分のお金として返してもらおう。
応援することと、全部背負うことは違う。
今回はこれがいい。
夫が払えなくなったことで、結局また私がお金を出すことになった。
そこだけを見れば、
「また私かよ」
と思う。
でも今回は少し違った。
夫に言われたから払うのではない。
夫の代わりに払うのでもない。
私は自分で考えて、自分のお金をどう使うか自分で決めた。
そして、子どもに貸すと決めた。
それが私なりの答えだった。
大学へ行かせたあとにも、それぞれの家庭でいろいろなことが起きるんだろう。
うちは、こんなバタバタ劇だった。


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