昔から嫌いだった言葉がある。
「俺が稼いでるから、お前たちが暮らせてる」
「お前は俺がいなかったら生きていけない。子どもたちはどうするんだ?」
父親が偉そうに、王様気取りでよく言っていた。
大して稼いでこないくせに。
私は、そんな父親と母親を見ながら育った。
そしていつの間にか、
稼げない男とは暮らしたくない。
家事ができない男とも暮らしたくない。
女を下に見ている男なんて絶対に嫌だ。
そう思うようになっていた。
稼げない男と結婚して、生活のことでブーブー文句を言われながら母のように暮らす。
私にとって、それは不幸の始まりにしか見えなかった。
そしてもう一つ。
私は子どもの頃から、結婚して夫の姓を名乗り、夫の家族の一員として扱われることにも強い抵抗があった。
両親を見ながら、
夫の戸籍に入ったら、女は地獄の人生の始まり。
私はそんなふうに思いながら育った。
当時は、女は嫁いだ先の家族、夫の両親の面倒まで見るものという空気も強かった。
私はそんな存在にはならない。
ずっとそう思っていた。
今になって分かる。
私は昔から、「家族単位」ではなく、「個人単位」で考えて生きているのだと思う。
夫婦になったからといって、二人の人間が一つにまとまるわけではない。
私は私。
夫は夫。
結婚しても、私は私でいたかった。
本当は、結婚するつもりはなかった
私は、子どもができなければ結婚するつもりはなかった。
同棲のままでよかった。
子どもができたら婚姻する。
子どもの戸籍が整ったら離婚して、またそれぞれ別の人間として生きる。
それが私の考えていた形だった。
ところが実際に籍を入れた途端、夫は離婚して戸籍を別にすることを拒んだ。
「自分の戸籍が汚れるのは嫌だ!」
そのとき、
「こいつ、約束を破る奴だったんだ」
という怒りが込み上げたことを今でも覚えている。
私は「一生あなたの妻として生きます」と思って結婚したわけではなかった。
子どものために必要だと思ったから婚姻した。
その前提があったから受け入れた。
なのに籍を入れた後になって話が変わった。
それがものすごく嫌だった。
ただ、その頃に友達から結婚していることのメリットもいろいろ言われた。
それを聞いて、
「まあ、いっか」
とも思った。
だから、その時点では結婚生活そのものを全部否定していたわけではない。
夫の姓になっても、私は旧姓を使い続けた
子どもが生まれ、戸籍を整えるために、私はしぶしぶ夫の姓になった。
それが本当に嫌だった。
夫婦が結婚したら同じ姓を名乗らなければならない。
つまらない法律だと思った。
こんな法律、なくなればいいのに。
ずっとそう思っていた。
私は個人事業主だったので、せめてもの抵抗として旧姓を通した。
どこへ行っても旧姓を伝えた。
表札にも旧姓を出した。
だから他人から見れば、同じ家に違う名字の男女が住んでいるように見えたかもしれない。
近所の人は私を旧姓で呼ぶ。
それはとても嬉しい。
私は夫に取り込まれたくなかった。
もっと言えば、男の家族に取り込まれたくなかった。
「○○さんの奥さん」
そう見られることも超絶嫌だった。
「好きな人の姓になれるなんて幸せじゃん」
そう思える人がいることは分かる。
でも私はそうではなかった。
夫の妻である前に、私は一人の人間だった。
結婚したからといって、その人間まで消えるわけではない。
最初から夫が嫌いだったわけではない
夫は、仕事がバンバンあった頃は自信に満ちていた。
家事も全部できるわけではなかったけれど、ご飯は作れた。
掃除ができなくても、
「私は掃除が好きだから、まあいいか」
と思えていた。
仕事が忙しいなら、
「私がやってあげよう」
とも思えた。
妊娠中もよかった。
だから最初から夫との生活が嫌だったわけではない。
何かが変わってきたのは、出産後だった。
でも当時は、その「何か」が自分でもよく分からなかった。
仕事が減ってから、夫が変わっていった
夫は仕事がたくさんあるときは、自信に満ちていた。
ところが仕事が減ってくると、努力するのではなく、だんだん周りのせいにするようになった。
「そのうち、そのうち……」
そう言っている時間が増えた。
その後、別のフィールドの勉強を始め、一度は復活した。
だから私は、単純に「稼げない男だから嫌い」だったわけではないと思う。
新しいことを勉強して、また仕事をする。
そんな姿を見ることもできた。
でも、また少しずつ稼ぎが落ちていった。
性格もなんだか暗くなった。
外へ出なくなった。
部屋にこもって仕事をしている。
家族としか話さない。
会話が下手になっている。
デリカシーもなくなった。
父親が家族を連れてどこかへ出かける、ということもなくなっていった。
そして同じ頃から、私も家族単位で一緒に出かけることが嫌になった。
多分、このあたりから私は夫を嫌いになっていったのだと思う。
嫌い。でも必要だった
ここからが自分でも矛盾していた。
私は離婚したかった。
一緒にいたくなかった。
それなのに、夫は必要だった。
なぜなら、子育ては頑張っていたから。
自分に何かあったとき、この人以外に子どもを託せる人はいない。
それはちゃんと理解していた。
一時期、
「私が家を出て、子育てをするためにこの家へ通ったらどうだろう」
と考えたことさえある。
でも、それもできなかった。
私がいない夜、子どもが寝ている時間に何かあったらどうするのか。
子育てを一人でするなんて、本当に無理だと思った。
夫としては一緒にいたくない。
でも子どもの父親としては必要だった。
離婚したいのに、必要。
必要なのに、一緒にいたくない。
ずっと矛盾していた。
一人で子どもを育てるということ
自分が実際に子育てをしてみて、シングルで子どもを育てている人は本当に大変だろうと思った。
「一人で稼いで子どもを育てています」
その言葉だけでは分からないことがある。
その人が稼いでいる時間、子どもを誰が見てくれているのか。
仕事中に子どもに何かあったら誰が動くのか。
夜、子どもに何かあったとき誰がいるのか。
もちろん環境によって全然違う。
でも私には、子育てを完全に一人で背負うことは無理だった。
だから夫を嫌いになっても、簡単には離れられなかった。
ここだけは「個人単位」ではどうにもならなかった。
子どもを育てるには、現実として人手が必要だった。
だから私は、夫を夫として嫌いになっても、子どもの父親として必要としていた。
子どもを産んだことを後悔しているわけではない
もし子どもができなかったら、私は結婚しなかった。
同棲のままでよかった。
それなら、夫の子どもを産まなければよかったのか。
そう考えると、それも違う。
私は母親になりたかった。
子育てをしたかった。
今、目の前には大切に育ててきた子どもがいる。
この子がいない人生に戻りたいとは思わない。
産まなければよかったとも思わない。
私が欲しかったのは、別の人生だったんだと思う。
子どもが高校生になるくらいには夫と別居して、それぞれ別の暮らしを持つ。
そんな生き方があったらよかった。
子どもを産んだことを後悔しているのではない。
母親になったことを後悔しているのでもない。
私が嫌だったのは、
子どもを持つことと「この人の妻になること」がセットになってしまったことだった。
この子は欲しい。
でも、この人の妻ではいたくなくなった。
そんな生き方ができたらよかった。
「君みたいな人と結婚したらよかったなぁ~」
以前、男友達に言われたことがある。
「君みたいな人を妻に持ったら、自分のお小遣いはもう少し増やせるし、未来が楽になる。いい嫁だよね」
イラッとした。
はあ?
私が働いて稼いだら、なぜお前の未来が楽になるんだ?
そこで聞いた。
「じゃあ、お前は家事を半分できるの?」
「会社から毎日まっすぐ帰ってこられるの?」
「残業した日でも家事をやるんだよ?」
私だって働いているんだから、当然だ。
すると黙り込んだ。
やっぱりな、と思った。
妻が働いて稼ぐことによって得られる経済的なメリットは欲しい。
自分のお小遣いが増える。
生活が楽になる。
老後も楽になる。
そこまでは計算する。
でも妻が働くなら、妻がやって当たり前とされてきた家事を、自分も半分背負うことになる。
そこまでは考えていない。
なぜ?
男だって知っているはずだ。
仕事をして、残業して、疲れて帰ってきたあとに家事をするのが大変なことくらい。
自分には無理だと思うことを、なぜ働く妻にはやらせられると思うのだろう。
女性に「働け」と言うなら、男性にも家事を教えておいてほしい
これはずっと思っている。
専業主婦のお母さん。
子どもには、男女平等に家事を教えておいてほしい。
娘だけに、
「女の子なんだから料理くらいできないと」
「お手伝いしなさい」
と教えるのではなく、息子にも同じだけやらせてほしい。
料理。
洗濯。
掃除。
片付け。
家電の使い方。
家族の生活を維持するために必要なこと。
全部だ。
家事は「妻を手伝うための能力」ではない。
一人の成人が、自分の生活を自分で成立させるための能力だ。
女性には、
「これからは女性も働く時代」
「経済的に自立した方がいい」
と言う。
だったら男性にも、
「これからは男も自分で家事をする時代」
と同じ強さで教えなければおかしい。
女性を働かせるところだけ男女平等にして、家庭に帰った途端に昔の役割分担に戻す。
それでは女性の負担が増えただけだ。
それなら、
「一人で生きていた方が楽。結婚しなくてもいい」
と女性が思っても仕方がない。
私は「稼ぐ妻」になって夫の生活を楽にして、そのうえ家事まで多く背負うために働いているわけではない。
私はずっと「個人単位」で生きてきた
ここまで書いて、改めて思う。
私は本当に、家族を作っても、一人の「個人」として生きたい人間なんだと思う。
私は私。
夫は夫。
私が稼いだからといって、それが当然に夫の豊かさになるとは考えていない。
逆も同じ。
夫が稼いだからといって、
「夫のおかげで私は暮らせている」
という人生は求めていない。
私は自分の人生を自分で成立させたい。
夫にも自分の人生を自分で成立させてほしい。
夫婦になったから財布も人生も老後も全部一つ。
私は、そういう感覚をまったく持っていない。
一緒に暮らしていても、
私は私。
あなたはあなた。
それぞれ自分の人生に責任を持った二人が、一緒にいたいから一緒にいる。
私にとって夫婦とは、本当はそれくらいでよかった。
そして、大学のお金を払えないと言われた
そんな私が今、本気で、
「今後、私は私でいるために何とかしたい」
と思うようになったきっかけがある。
夫が、子どもの大学のお金を払えないと言い始めたことだった。
私は急に、自分の老後が怖くなった。
子どもの大学のお金を払えない夫と、このまま同じ家計、同じ世帯、同じ夫婦という単位で年を取っていく。
この先、夫のお金が足りなくなったらどうなるのだろう。
私は夫を金銭面で支えたくない。
冷たいと言われても、ここは変わらない。
私に金銭的な迷惑をかけないでほしい。
なぜなら私も、夫に金銭的な迷惑をかけるつもりがないから。
「そんなこと言ったって、今後何が起こるか分からないよ」
と言う人もいる。
でも、結婚せず一人で生きている人と同じ感覚でいれば、私にとってその言葉は愚問だ。
私は自分の生活は自分で何とかしたい。
病気になったとしても、できる限り夫の手を借りなくて済むように生きたい。
自分の老後も、自分で何とかしたい。
だから相手にも同じことを求める。
夫婦だから支え合う。
夫に自分の人生を任せたい。
そういう生き方を望む人がいることは分かっている。
それを否定したいわけでもない。
ただ、
私はそう生きたくない。
それだけなのだ。
自分の健康保険料くらい、自分で払いたい
今、私がぶつかっていることの一つが国民健康保険だ。
国保の保険料は、世帯主に家族分をまとめて請求される。
私は、自分の分は自分に請求してほしい。
自分で払いたい。
理由の一つは、自分の稼ぎを夫に知られたくないから。
そしてもう一つ。
「俺が払っている」
そんな態度を取らせる余地すら作りたくない。
私はそれが死ぬほど嫌だ。
だから役所にも相談へ行った。
夫婦それぞれに国保を請求してもらえないかと聞いた。
でも、同じ住所で暮らしている夫婦の私たちの場合、それぞれに分けることはできないと言われた。
分けたいなら住所を別にする必要がある。
離婚については、私はしてもいい。
でも夫が応じない。
だったら住所を別にすればいいのか。
そこまで考えて、一時期、本当に月5万円以内で借りられる、とにかく安い住所を探した。
住みたい家を探していたわけではない。
ただ、
「私は私の分を自分で払う」
それをするための住所を探していた。
そこまでしなければ、一人の人間として扱ってもらえないのか。
そう思った。
もう一つ方法があると言われた。
個人事業主から会社を作り、自分が社会保険に入ること。
そうすれば夫の国保から離れられる。
でも、
なんでそのために会社を作らなきゃいけないの?
私は会社を作って仕事をするつもりなんてない。
私は個人事業主として仕事をする。
そして仕事ができなくなったら、そこで終わりにする。
それが私の決めた生き方だ。
健康保険を夫から切り離したいという理由で、自分が決めた働き方まで変えたくない。
私は、一人の人間として生きる権利を削られているように感じる
ここまで来て、ようやく自分が何にこんなに腹を立てているのか分かってきた。
私は結婚している人たちを否定したいわけではない。
専業主婦を否定したいわけでもない。
夫婦で一つの家計にして、どちらかが稼ぎ、どちらかが家庭を守る。
それが幸せな人もいる。
夫に養われたい女性もいるだろう。
それでいいと思う。
それは、その人が選んだ人生だから。
私は、その人たちからその生き方を取り上げたいわけではない。
だったら、
私からも私の生き方を取り上げないでほしい。
家族単位で生きたい人は、家族単位で生きればいい。
夫婦で支え合いたい人は、支え合えばいい。
夫の姓になりたい人は、なればいい。
夫婦のお金を一つにしたい人は、一つにすればいい。
私は違う。
私は個人単位で生きたい。
自分で働きたい。
自分で稼ぎたい。
自分のお金は自分で管理したい。
自分の保険料は自分で払いたい。
自分の老後は自分で何とかしたい。
夫にも依存したくない。
夫から依存されたくもない。
結婚していても、一人の成人として扱ってほしい。
ただそれだけなのに、
姓も、
戸籍も、
世帯も、
健康保険も、
結婚すると何かにつけて「夫婦」「家族」という一つの単位にまとめられる。
私はそのたびに、
一人の人間として生きる権利を、少しずつ削られているように感じる。
これは法律上の「人権侵害だ」と断定したいわけではない。
私自身が、この制度の中で生きてきてそう感じている、という話。
私は誰かの生き方を変えたいわけではない。
私と正反対の生き方を望む女性がいたっていい。
だったら私にも選ばせてほしい。
結婚していても、個人単位で生きるという選択肢を。
私が守りたかったのは、ずっと「私」だった
振り返ってみれば、全部つながっている。
子どもの頃、父親の
「俺が稼いでいるから暮らせる」
という言葉が嫌だった。
夫の姓になるのが嫌だった。
旧姓を使い続けた。
表札にも旧姓を出した。
「○○さんの奥さん」と見られるのが嫌だった。
夫に養われる人生も嫌だった。
そして今は、夫を養う人生も嫌だと思っている。
自分の国保くらい自分で払いたくて、別住所まで探した。
男友達から、
「君みたいな人が妻なら俺の未来は楽になる」
と言われて腹が立った。
全部、同じだった。
私は、自分の人生の責任を自分で持ちたかった。
そして相手にも、自分の人生の責任を自分で持ってほしかった。
私は誰かに養ってもらいたいわけではない。
だから、誰かを養うために結婚したわけでもない。
私は誰かに家事をしてもらう前提で生きていない。
だから相手にも、自分の生活くらい自分で維持できる人間でいてほしい。
私は私の人生を引き受ける。
あなたはあなたの人生を引き受ける。
その二人が、一緒にいたいから一緒にいる。
私が欲しかった夫婦は、それだった。
家族を否定したいわけじゃない。
結婚を否定したいわけでもない。
専業主婦を否定したいわけでもない。
ただ私は、
「家族」という単位の中に「個人」が消えてしまうことが嫌なのだ。
夫婦になっても二人の人間は二人のままでいい。
親になっても、自分という人間まで消さなくていい。
誰かを愛しても、その人の所有物になる必要はない。
誰かと暮らしても、自分の人生まで相手に差し出す必要はない。
名字が変わっても、
結婚しても、
子どもを産んでも、
母親になっても、
私は私だった。
私が欲しかったのは、誰にも頼らない孤独な人生ではない。
誰かを愛したり、一緒に暮らしたり、子どもを育てたりしても、
自分という一人の人間まで相手に差し出さなくていい人生だった。
結婚しても、
私は私でいたかった。
そして今は、
私は私でいるために、本気で何とかしたいと思っている。
もし、結婚したままでも、同じ住所に住んだままでも、夫婦それぞれがもっと「個人単位」で生きられる方法を知っている人がいたら、本気で教えてほしい。
私は夫婦を壊したいわけではない。
家族を壊したいわけでもない。
私は、私という一人の人間として生きたいだけなのだから。


コメント